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NICHE 2015 巻頭言

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NICHE mook 02発刊に寄せて
suzuki建築学部同窓会会長
NICHE 編集長
鈴木敏彦

 2015年3月、今年も街中の桜が咲く季節がやって来た。この春に工学院大学建築学科を卒業する諸君は、どんな決意を胸に新宿キャンパスを離れるのだろうか。そして、かつてこの大学で学んだ卒業生は、どのように本学を思い出すのだろうか。この学び舎で過ごした日々を糧に、大きく世界にはばたくことを祈っている。しかし社会に出ると予想しない出来事に直面する事があるだろう。そんな時は、迷わず工学院大学に立ち寄ってほしい。その時間すらないときは、ぜひNICHEを開いてほしい。

海外への好奇心と、学びを還元する力
 一年前、「大学の知的資源やネットワークを生かして社会に貢献する」という理念を掲げ、同窓会誌NICHEを配布用のダイジェスト版と、書籍のムック版に分けた。前者では卒業後の校友の仕事ぶりや、海外渡航奨励金制度を用いて海外を巡った在学生のレポートを載せ、後者ではイギリスで展開するハイブリッド留学や、イタリア・ミラノ工科大学との国際交流について伝えた。世界は目まぐるしく動いているが、建築とデザインと教育事情には常に通底するものがある。それは海外に対する飽くなき好奇心と、見聞きしたものを還元しようとする力である。本学を創設した渡邉洪基先生はイタリアに働き、東京駅を造った辰野金吾先生はイギリスに学んだ時期があった。そしてその成果を工手学校、つまり当時の工学院大学で教えたのである。

梅澤捨次郎、再び
m1 その時学んだ学生の中に、梅澤捨次郎という男がいた。その名は知る人は少ない。1911年に卒業し、台湾に渡って多くの建物を建てた建築家だ。本年は「台湾建築探訪」と銘打ち、二つの特集を組んだ。一つ目は「知られざる梅澤捨次郎の仕事」と題し、台湾中の彼の建築に焦点を当てた。今でも彼が日本統治時代に関わった建物は台湾で大事にされている。彼の仕事を追って調査を続けているうちに、折しも、梅澤捨次郎が台南に設計した林百貨店がリニューアルオープンした。台湾中のメディアが詰めかける中、私は工学院大学の代表として開幕式に招待された。そして同様に日本から駆けつけた、梅澤捨次郎の孫夫婦と、林百貨店を創った林方一の子孫と知り合った。84年ぶりに甦った百貨店は実に多くの人々で賑わっていた。ファサードからディティールに至るまで、実に丁寧で気持ちの良い仕上がりだった。後輩として、実に誇らしい出来事だった。
 帰国後、私は福岡で梅澤家のご家族を訪ねた。かつて学生時代に、今は亡き伊藤ていじ先生に「まずは仁義を切れ」と教わったからである。「建築家の研究をするなら、その人のお墓参りをせよ」いう教えを守り、梅澤先生のお墓に手を合わせた。今回、梅澤捨次郎の生涯を解き明かすことができたのは、一重に台湾と日本の多くの関係者のご協力と、各大学の研究者ネットワークの賜物である。

進化するフジモリ建築
m2 二つ目の特集は「台湾のフジモリ建築」である。今なお忙しい藤森照信先生を台湾に追いかけて、最新の仕事を網羅した。暑い夏に風光明媚なお茶室でいただく中国茶の味は格別であった。そして寒い冬に長野の雪の中でよじ登った高過庵は実にダイナミックだった。建築を続けるには体力が必要だと実感した。なんと、藤森先生は今、台湾で卒業設計を実現しようとしている。いつまでも夢を追い続ける姿勢を我々も見習おうではないか。歴史学を学ぶことで、どこにもない新しい建築が生まれる。それはパラドックスに思えるかもしれない。しかし長い時間の蓄積が、次のブレークスルーを生むのだ。

レーモンドの北澤コレクション
m3 特別企画「アントニン&ノエミ・レーモンドのトータルデザイン」では「軽井沢の新スタジオ」を徹底解剖した。北澤興一氏は工学院大学を1961年に卒業し、レーモンド事務所に務めた。選ばれた所員は毎年夏のひと月を軽井沢で過ごした。チェコ生まれのレーモンドはアメリカでフランク・ロイド・ライトに出会い、帝国ホテルの設計を手伝いに来日した。その後、独立したレーモンドの創作の源泉は日本の伝統的家屋だった。北澤氏がレーモンド夫妻から譲り受けたスタジオは実に素晴らしい。夫人のノエミが手掛けた家具とインテリアデザインは本邦初公開である。新しい建築学部の主旨であるトータルデザイン、つまりインテリアとプロダクトと建築の総合芸術の傑作だと言えよう。北澤氏は今回、後輩のため、母校のため、ひいては建築界のために、コレクションを公開してくれた。
 大学という学び舎は知的資源の宝庫である。そして言語と国境を越えた人的ネットワークこそ、未来への力を育む。大学で切磋琢磨した仲間たちと共に手を携え、新しい未来を切り拓いていこう。

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